ボスウェル城は、グラスゴーの南東約15km 、クライド川のほとりにあるお城です。この地に最初にお城が築かれたのは、13世紀ごろだといわれています。その後、この城はいくたびもスコットランドとイングランドとの間の戦争の舞台となり、増築や破壊が繰り返されてきました。18世紀以降領主が他所へ移り、現在は外壁といくつかの塔や部屋が残されているのみです。
ここを訪れてまず驚いたのは、受付でチケットとパンフレットを買った時、受付のおじさんがいきなりお城について語りはじめたことです。お城の歴史、ここを舞台に繰り広げられた戦争の数々、お城の各部の説明などなど‥‥。このおじさんは、私の後に来たお客さんにも同じお話をしていました。いったい一日に何回くらい説明されているんでしょうね。なにはともあれ、その解説は後でお城の中をあちこち見て回った時にとても参考になりました。
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左の写真は、かつて城内のチャペルだった部分です。壁面の彫刻が施された部材や、飾り付きの窓などが残っています。右奥に見える3階建ての塔の中には、聖職者用の居室があったと考えられています。 |
グレートホールの反対側には、4層構造の大きなダンジョン(塔)があります。ここも破壊と修復が繰り返されていて、塔の一部にのみ古い時代の石組みが残されています。また、ダンジョンの横には、囚人を収容したプリズンタワーを見ることができます。
チャペルの隣にはグレートホールがあります。多くの部分は失われていますが、アーチ状に作られた見事な壁が残されています。
このお城を巡る攻防で特に有名なのが、13-14世紀のスコットランドとイングランドとの戦いです。1296年、モーレイ(Moray)家が領主であったこの城は一旦イングランドの手に落ちますが、その後14か月に及ぶ包囲線のすえ、城はスコットランド軍の手に戻ります。しかし、1301年、エドワード1世率いるイングランド軍は、グラスゴーで巨大な車輪付きの移動式櫓を作り、ボスウェルまで運んできて、ダンジョンの攻撃に使用しました。グラスゴーからの移動に当たっては、クライド川にそのための橋を架けたり、専用の道路を作ったりもしたそうです。この戦いの結果、ボスウェル城はイングランドの手に落ちました。その後も、スコットランドとイングランドの間でこの城の奪い合いが続きますが、1337年にはアンドリュー モーレイ率いるスコットランド軍が奪い返しました。